yu-ta2269’s diary

そんなぼくの1日

調子がいい

だいぶ調子が戻ってきた!

二酸化炭素濃度も平均値より高いけど

安定してくれてる。

 

それに脈を抑えるシール?を胸に貼ってから

脈が70〜80の値で留まってくれてるから

ゆっくり呼吸ができる。

常に100〜110の値で少し動けば120値まで上がってた頃に比べるととても楽です。

半年に1回は心房細動を起こしてるから心臓まで悪化されちゃ困るからね。

 

その結果がこの調子の良さならこの脈を抑えるシールは相性がいい。

これなら二酸化炭素濃度は安定してくれるでしょう!

軽度のナルコーシスになってて

ストンッ!っとトイレで眠るように意識を失ってたし、イスでも意識障害もあったのに眠れない毎日だったので眠れるっていいですね。

 

1つ1つクリアしていこう!

 

そんなぼくの1日

2人で

最近はよくアニメ、映画を見ています。

ハマってるのはアニメ

 

「ゾン100〜ゾンビになるまでにしたい100のこと」

 

よくあるゾンビ映画をアニメにした感じといえばそうですが、タイトルにあるように主人公がゾンビになるまでに100の事を物語を進めて行く道中で仲間と埋めては達成していく話です。

 

おすすめですよ!洋画でも「最高の人生の見つけ方」などでも棺桶リストThe bucket listとありましたね。

 

ぼくがよく見ているYouTuberの「とったび」さんがめでたく夫婦になり、上記の同じ内容で紹介されてて、ぼくも妻に昨日話して聞いてみたんです。

ぼくが再肺移植をして元気なったら何がしたい?とすると「普通のことがしたいな」と言ってくれました。それがまた嬉しかったですね。ぼくと同じことを考えてくれてました。

中々、普通なことをお付き合いしてる時からしてあげられず、我慢ばかりさせていたので普通なことはぼくたちにとっては特別なことですからね。

 

数年後、家のダイニングテーブルに妻がいて娘がいて、酸素も何も繋がれてないぼくがいて、ご飯を一緒に食べてる。そんな光景を妄想するだけで涙が出ます。その妄想が生きる希望になってるから今を大事にしていこう。

 

そんなぼくの1日

嫌いなもの

今日は特にやられた。

ぼくには嫌いなものがある。

 

食べ物は、ゴーヤ(苦瓜)と赤飯です。

 

今日のお昼に栗おこわが食べれるということで楽しみにしてたのに、来たのは栗赤飯だった。

 

おこわとはもち米と“小豆以外”のものを炊いたものなので小豆が入ってる時点で赤飯なんですよ!更に赤飯なのにお米は普通米。

 

好きな人からしたらいいですよ。おめでたい時に食べるとものだし、日本人らしい。

わかるけど、嫌いな人からしたらありがた迷惑な話ですよ。

 

なんてネットに書けば炎上ですね。「何を贅沢言ってるんだ」なんて声が聞こえるのでこの辺にしときますが、嫌いなものの克服の仕方はあるんでしょうか?

 

食べ物以外で言ったら...

ゴキブリ、フナムシ、ハチ、不意に現れる虫、臭い匂い、シャンプー中の後ろに何かいる現象などなどです。克服は難しそうです。

 

そんなぼくの1日でした。

変わらないもの

ぼくには変わらないものがある。

みなさんもこれがあるから元気が出る!そんなものがあるのでは?

ぼくも同じで、それは学生の頃から大好きな音楽バンド“UVERworld”です。名前だけでも聞いたことある人もいるかもですが7月末には日産スタジアムにて史上初の男祭りを大成功させたバンドグループです。彼らの音楽はロックバンドで歌詞が素敵で更にボーカルのTAKUYA∞くんが語る言葉が熱く胸に残ります。その言葉を胸に病気にも負けず闘ってこられたのも事実です。肺移植の際はICUでDVD持ち込んで毎日見させて頂きました!元気になったらLIVEも見に行くんだ。という夢も叶いましたよ!LIVEではグッズもたくさん買って集めたり、DVDやCDは欠かさず初回限定版を購入し特典を集めたりしてますが、妻からはよく「メルカリ出すよ」と脅されます。笑  (これ見てるんだよな...

 

とにかく何が言いたいか、UVERworldの彼らが好きで変わらずこれからも応援するしTAKUYA∞くんの熱い言葉を胸に負けない心を持って前に進みます!

 

そんなぼくの1日でした!

すがるおもい

ぼくは神様などは信じてない。

天国や地獄なんてのも同じくだ。

死んだ人がそこに行くのを見た人もいないのに押し付けるように「あの子は天国で...」「あいつは地獄に落ちて正解だ」妄想がすごい!良いようによく言うよ。別に否定してるんじゃなく、これとぼくの個人の見解なので流してくれていいんですが、誰か同じこと言ってますが天国や地獄って生きてる時に見るものですよね?

見守ってくれてる 。更生してくれてる。それで終わり。後は、Dr.ヒルルクの名台詞見てもらえば人がいつ死ぬかわかります。

なので、ぼくが祈るのは空にいる母や愛犬や一緒に闘った同病者にだ。ちゃんと見ててくれ弱音吐いてるけど、生きれなかった人の分まで生きるのが使命だと思ってるからと。

この間は少し心が折れ掛かり同病者さんへ「ぽっくり行くと何も言えないからぼくに何かあったらぼくの分も生きてください」と言ってしまった。

今はお互いに鼓舞し合い前を見ています!

ありがとうございます。

 

今は肺移植にすがるおもいです。

2回目だからリスクは伴うのはわかっている。

心を強く信じるだけ。

その準備をゆっくり始めよう。

心も鍛えなきゃ!

 

ふと思った、そんなぼくの1日

 

 

やりたい事

1度目の肺移植前にも肺移植したら

たくさんのやりたい事を並べた。

その中から大きく括って親孝行。

そして、抜粋して挑戦ということで

富士山登頂とフルマラソンを選んでいた。

そして、2016年6月6日にドナーが現れたと連絡があり翌日手術をした。

かくかくしかじかで、元気に順調に回復し

2018年9月に再就職し、空白の時間はリハビリや運動をアスリート並に行い、翌年の8月中旬に1人で富士山登頂を叶えた。

 

ここから少し話は変わるが、富士山登頂前に東京観光をした。まだ誰にも話してない内容がある。1番の目的は東京タワーを見ること。理由は、2005年に出版された著者リリー・フランキーさんの「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」を高校生の時に母から預かり朝の読書時間で初めて読み、とても感動し泣いた記憶がある。テレビドラマでも映画でもありましたね。しかし、東京タワーは中に入るより、遠くから眺めて色んな建物と重なり合うか、開けた隙間から足元まで映る絵がいいと言うことに気が付きました。

ではなく、唐突ですが、ぼくも小説書きたいんです。東京タワーのような家族を思いながら感動させられる小説を。少しずつ準備はしてます。叶えられるように頑張りますよ。

それともう1つ妻にはこの間話しましたが、他には誰にも話してない内容があります。

東京観光の時にあまりどの周辺で寝泊まりしたか記憶にないのだが、東横インに泊まり、お腹が空いたから周辺探索してると裏通りに抜け食べ物がありそうな通りにでた瞬間に目の前にサラリーマンがしゃがんでる女性を見てて、最初は夫婦かな?と思ったがどうやら違うっぽく、酔っ払っていた女性をサラリーマンが覗きをしていたのだ。呆れたぼくは「なにをしてるんですか?」とスマホカメラ起動して声をかけたら離れていった。女性は年齢はぼくらの母世代くらいで知人の男性にここで降ろしてもらってから気分が悪くなったとのこと。少し話せる理性はありそうなので近くの自販機で水だけ買って飲ませてあげた。さてここからどうするかと悩んだが、自宅はぼくがここまできたルートの方にあるらしく、ぼくも体力がまた少しあったので女性をおんぶしてあげた。知らない土地で知らない人をおんぶするのは東京でしたかったことではないのに。しかし、ここまできたルートは帰りは坂道で最悪であった。数百メールでぼくはバテて女性諸共、転げてしまった。めちゃくちゃ謝るぼく。めちゃくちゃ酔っ払ってる女性。今思うと面白い。女性も水のおかげか理性が戻りつつあり、ぼくを見て驚いてはいたが怪しまれてなかったので安心したのか家族の話をしてくれました。中学の息子さんがいるそうで、ぼくみたいな人になってほしいと言ってくれました。嬉しかったですね。肩を持って二人三脚で歩きようやく女性が住んでるマンションに到着。少し擦り傷を残してしまいましたが、問題ないと。これが誰にも話してなかった内容の1つになります。いい思い出です。

 

ぼくは次に肺移植した後にやりたい事を考えてますが、やっぱり妻と娘のそばにいてあげることが1番なのでそれができるなら、それを目標に希望を持って現状と向き合い考え、方向性をしっかり決めなくちゃいけません。

でも、今の心境に不安が薄れ、自信が出てきています。まだやらなくちゃいけないことはありますが、いい傾向だと思うので今をキープした状態で過ごしていきたい所です。

 

そんなぼくの1日でした。

 

人生の分岐点

今日は長い一人言を綴ろうかな。

人は女性から産まれるがその前に2人の存在がいる。

ここでまず1つ目の分岐点。親という存在。

他人同士だったはずの父がいて、母がいて

ぼくが生まれる。世界でこの2人が出会わなければぼくは生まれなかった。

しかし、ぼくが物心付く頃に両親は離婚し母子家庭になります。

これが2つ目の分岐点。親の離婚。

子供の運命は親によって左右されることもある。しかし、それは弱い母親の場合。ぼくの母はとんでもなく強かった。父親のような威厳もあり、誰よりも強くたくましかった。

それから、ぼくは小学校、中学校、高校と行き

色々飛ばしたがたくさんの分岐点があり親友ができ、先輩、後輩とも出会え、これしかできません!っていう取り柄となるソフトテニスにも恵まれた!

が、社会人となり1年目で病気が見つかり、親孝行するために就職したのに親不孝もんやねと泣きながら母親に言わせてしまったあの日の震える声が目と耳に焼き付くくらい覚えてる。

何がきっかけで病気になったのかわからずあれこれ病院に行き診てもらってはよくわからない。ようやく病名もわかったが難病となり治療法はないとのこと。なんでぼくなん?誰か変わってくれよ?とやけくそになってたときに。

とある分岐点に。同病者の存在。

ぼくだけが苦しい。この世でぼくが1番苦しいんだ。とやけくそになってた時に生放送アプリキャスに出会い同病者ではないですが、ある女性が主となりチャンネルタイトルが(末期癌の私)ぼくは怖さと興味本位でポチりました。

すると、キャスのシステムに入退場の数がわかるからコメントするまでは1人誰か私の所に入ってきた。見られてる。という上体に女性はなり、誰?どなた?と連呼するように。

ぼくはコメントしようか迷ったが挨拶からコメントした。コメントしたらただ普通の方でこの人、末期癌なの?と思うくらい元気な方で挨拶を返してきてくれた。沖縄の方らしく、連日訪問するようになり、仲良くなった所で聞こうか迷ったが末期癌のことを聞いてみました。

すると、女性の方は本当だと。生放送アプリでは釣りと言ってタイトルに釣られ入退場する主もいるので、逆に煽ってする輩といるみたいだからちゃんとしたコメントくれる方はそうではない信じ挨拶を返してくれたとのこと。

ぼくはこの女性の出会いでYouTubeを始めようと思いました。自分よりめちゃくちゃ辛いはずの人が自分の弱さを鍵もかけず窓全開にして輩が入って踏み込まれても何も言わない平然と立ち尽くしてる姿がカッコよくて勇気がでました。そんなに時、ぼくもそんなかっこいい生き方してたい!と思いました。

これがYouTubeを始めた分岐点。女性の存在

YouTubeも上げられてないけど、ちゃんとあげるから楽しみにしてて下さい。

そして最後に!

ぼくと妻の出会い。ジム終わりで少し遅刻してしまったぼくを喫茶店の前で手で髪を傘にして待ってた姿を見てもう優しい人とわかりました。喫茶店で初めてご飯を食べ話も面白い。それから意気投合しお付き合いをしてくれて、めでたく結婚し、娘が生まれました。

最後の分岐点。妻と娘

ぼくは母子家庭になり、病気になり、YouTubeを始め、愛犬が亡くなり、母親が亡くなり、肺移植をし、富士山上り、妻と出会い、拒絶反応で再肺移植をすることになり、妻と結婚し、娘が生まれた。何か1つでも分岐が違ったらこんなに幸せな今は経験できない。

それ言いたかった長い一人言。

 

そんなぼくの1日